サブカルチャー

用語の起源は1950年に社会学者のデヴィッド・リースマンが使用したのが最初である。意味は「主流文化に反する個人のグループ」というもの。日本では特撮、アニメ、アイドルといった、所謂オタク的趣味を指す場合が多いが、それらは元々日本の主流文化であり、高度成長期から既に一般化しているためサブカルチャーとして定義するのは言葉の意味を履き違えている可能性がある。例えば、1990年代の米国でマスコミが挙げたサブカルチャーは若者が愛したヒップホップや入れ墨だったが、今ではこれ等をサブカルチャーとして挙げる人は誰一人としていない。

ハイカルチャーが受け手側にある程度の素養・教養を要求するのに対し、サブカルチャーは必ずしも受け手を選別しない。サブカルチャーのサブとは「下位」の意であり、漫画、イラスト、アニメ、ライトノベル、ポップミュージック、ロック、娯楽映画などは大量生産・大量消費されるべき商品であり、文化的に「劣る」という含意を持っていた。その為、下位文化と訳されることもある。しかし、1990年代以降にはサブカルチャーは既にハイカルチャーメインカルチャーと同程度の影響力を持つようになり、その定義は曖昧なものとなっている。

日本では「ハイカルチャーサブカルチャー」という文脈においてサブカルチャーという言説が用いられているが、欧米ではむしろ、社会の支配的な文化(メインカルチャー)に対する、マイノリティの文化事象を指す言葉として使われている(この用語としてはROSZAK,T,が1968年The Making of a Counter Cultureにおいて用いたのが早い用法である)。「サブ」とは、社会的マジョリティの文化・価値観から逸脱した、エスニック・マイノリティやストリートチルドレン、ゲイといった「下位集団」の事であり、メディア文化以外の価値観、行動様式、話し言葉など、本来の「文化」に近い意味でサブ「カルチャー」と言われる。欧米の研究では日本のサブカルチャーは、サブカルチャー研究の領域というよりも、むしろ「メディア文化」研究の領域に含まれる。

この様に日本におけるサブカルチャーと海外、特に英米におけるサブカルチャーはその意味する所が大きく異なる。これはカルチュラル・スタディーズが切実な問題であったアメリカやイギリスとは異なり、日本では社会学民族学の一環として国内のマイノリティが研究対象となる事がほとんど無かった為である。少なくとも、英米においてサブカルチャー研究が盛んであった1960年代、1970年代に、日本で同様の研究が日本国内に対して行われる事はなかった。サブカルチャーという概念が日本に輸入されるのは1980年代になってから、しかも本来の社会学民族学を離れての事である。民俗学では柳田國男の「山の民」概念をきっかけとしたサンカ論が現代に至っているが、サブカルチャーの文脈に乗ることは無かった。

1980年代に入ると、ニュー・アカデミズムが流行し、専門家以外の人間が学問領域、特に社会学や哲学、精神分析などの言葉を用い学際的に物事を語る様になった。サブカルチャーという言葉もこの頃日本に輸入され、既存の体制、価値観、伝統にあい対するものとして使われた。これらの流れは多くの若い知識人や学生を魅了し、「80年代サブカルチャーブーム」と呼ばれる流行を作り出した。この頃のサブカルチャーは現在よりも多くの領域を包含し、漫画、アニメ、ゲーム以外にも、SF、オカルト、ディスコ、クラブミュージック、ストリートファッション、アダルトビデオ、アングラなどもサブカルチャーと見なされていた。しかし、80年代サブカルチャーに共通して言える事はマイナーな趣味であった事であり、この段階で既に本来のサブカルチャーの持っていたエスニック・マイノリティという要素は失われていた。確かに幾つかの要素は公序良俗に反すると見なされたという点で既存の価値観に反抗していたが、それらは1960年代のサブカルチャーが持っていた公民権運動や反戦運動などの政治的ベクトルとは無縁であった。もともと社会学におけるサブカルチャーという用語は若者文化をも含んでいたが、エスニック・マイノリティという概念の無い80年代の日本においては少数のサークルによる若者文化こそがサブカルチャーとなっていた。この含意の転回には日本における民族問題意識の希薄さ以外にも、サブカルチャーという概念の輸入が社会学者ではなく、ニューアカデミズムの流行に乗ったディレッタントによって行われた事も関連している。研究者ではない当時の若者たちにとっては学術的な正確さよりも、サブカルチャーという言葉の持つ、差異化における「自分たちはその他大勢とは違う」というニュアンスこそが重要であったとも言える。

この頃のサブカルチャーは複数の要素を内包しつつも、ジャンル間に横の繋がりは存在せず、場合によっては複数の分野を掛け持ちする事はあったものの、基本的に愛好者たちは別々の集団を形成していた。しかし1990年代に入るとこの群雄割拠に転機が訪れる。メディアミックスの名の下に漫画、アニメ、ゲームといったジャンルの統合が進んだのである。漫画がアニメ化され、アニメがゲームに移植され、ゲームが小説化されるという現象によってこれらのジャンルは急速に接近し、俗に「おたく文化」と呼ばれる、その他サブカルチャーから突出した同質性を持つ集団を形成する様になる。現在では、この「おたく文化」が、過半数を占めるかはさておいて、サブカルチャーの最大与党であり、サブカルチャーそのものという見方すらされている。近年、海外に向けて日本の漫画、アニメなどの輸出が行われ、その文脈でもサブカルチャーという語は登場する。その際、サブカルチャーはおたく文化の意味で使われている。


Wikipediaサブカルチャー記事の冒頭部分より。
なるほど、勉強になります。
Wikipediaは暇つぶしにほんと最適です。オタク文化にも強いので助かります。


サブカルチャー - Wikipedia